日々思うこと

日本在住の研究者です(仕事場を移り、日本に戻ってきました)

語学能力

海外にいる日本人同士,特に若い人たちの中では,語学(当該国の母語)の出来不出来だけで互いの能力を評価する傾向が強い気がする。

高校,大学までのように,試験などの成績で自分の能力を「定量化」して他人と比較することが,大学院・社会人になるとできなくなる。とはいえ,多少話したくらいでその人の持つ知識・能力の優劣を判断できるわけでもない。日本国内だと学歴や勤務先などが自尊心あるいはコンプレックスの元になるのだろうが,海外だと能力の評価指標として語学が物を言うことが多いように感じる。すなわち,語学のうまい・下手だけでその人の能力全体を判断する(というより,要は自分より語学ができない人を下に見る)傾向が,少なくとも海外にて留学・ワーホリ中の日本人には強い。ともかく,「彼はあまりXXX語ができないから・・」云々と他人を評価するような言葉を聞くたびに,違和感を感じる今日この頃。

補足:上述の傾向は,その国にずっと住んでいる人たちには当てはまらず,あくまで数年くらいの滞在年数の人たちの間で特に顕著。

インターネット評論の世界

Twitterやブログ,その他コメント欄での「プチ評論家」大量発生現象。これはやはり,マズローの言うところの「自己実現欲求」「尊厳欲求」あたりがなかなか満たされず,こじらせてしまっているゆえなのだろうか・・。ただの情報発信であればよいが,他の誰かを批判・否定して一席ぶつ動きが大きいのが気になるところ。

玉石混交の情報,評論,言説をどのようにふるいにかけるか,ただ人気でさえあればよいのか・・等。以前のマスメディア主体の世界の方がよかったとは決して思わないが,個々人のリテラシーがないと,それこそ言論カオスな世界に突入してしまう気がする。実際,キャッチーでわかりやすい説明でさえあれば,中身としてはくだらない(あるいはとんでもない)ことが書かれていても,平気でSNSなどでシェアされて,あちこちに出回るという傾向が最近強くなっている気がする。

 

学歴・キャリアと民間企業就職との因果関係

日本では,人文社会科学系の大学院(特に博士課程)を修了すると,分野にもよるがなかなか民間企業への就職が厳しい(場合により絶望的)と,よく耳にする。同じく,JICAの青年海外協力隊OB・OGの就職がなかなかないという話も聞く。

前者は「自らの専門に拘り過ぎてつぶしが利かず,年齢も高めなため」といった説明がなされることが多く,後者についても,同じく年齢や,いわゆるキャリアの「空白」と見なされがちであることが理由として挙げられることが多い。これらはいずれも,就職が厳しいという「結果」が,彼らの学歴・キャリアのためである(「原因」)という説明であるが,個人的には少し違和感がある。

以前ある一部上場企業の人事関連(少しぼやかしておく)に携わったことがあるが,そこでの経験では,たとえある人のパーソナリティや能力のみで採否を判断したとしても,「結果として」上述の学歴やキャリアを持つ人たちが不採用となってしまう傾向が強いようであった(または,そう聞いた)。

すなわち,能力にせよパーソナリティ・人間性にせよ,もともと民間企業の求める人材像とは離れた人たちが(そもそもの優劣は別にして)人文社会系の大学院博士課程や青年海外協力隊に集まっている,と考えることもできるのではないか。つまり,彼らの学歴・キャリアゆえに就職が厳しいのではなく,そもそも民間企業の就職に向いていない人たちがそういった学歴・キャリアを選びがち,という逆の因果関係も指摘できるのではないかと思っている。

「高い意識」が目指す方向(二極化?)

タイトルのとおり,いわゆる意識が高いと言われる20~30代の若者の方向性が二極化している気がしている。ここでいう「意識が高い」というのは,俗に「意識高い系」と皮肉られている中身がやや希薄(らしい)人たちだけを必ずしも意味せず,中立的に,仕事やさまざまな社会活動の類を積極的に行おうとする人たち全体を指す。

ざっくり言うと,(1)資本主義・自由主義経済を(暗に)肯定・是認してその流れの上で活動を行う側と,(2)資本主義・自由主義経済に対して明らかな反発はしないが否定的には捉えており,それが生み出している諸問題を是正することを目的として活動を行う側,の二極。

具体的に言うと・・

(1)ベンチャー・起業志向が強い。特にシリコンバレーをやたら礼賛する傾向。何故か,事業の中身は定まっていないのにとにかく「起業する」ことが目的になっていることが多い。(個人的には,起業というのは,自分たちがやりたいことを達成するための「手段」であって「目的」ではないと思うのだが。。)一昔前までは外資系投資銀行や経営コンサル志向も強かったが,ここ数年は落ち目。

(2)地方再生(シャッター街再生から地域農業振興,伝統文化再生まで含む),環境保護活動全般(原発には積極的あるいは消極的反対),国際協力・開発(フェアトレードなどの諸活動含む),有機農業,サステイナビリティなどを好む。大企業,とくに多国籍企業のビジネスや製品を目の敵にする傾向あり。

(1)と(2)の共通点として,ブログなどによる(大手マスコミに依存しない)情報発信が大好き。TEDなどの流行ものにとにかく飛びつく傾向あり。あとなぜかシェアハウス好きで,特にそれを他人にやたらとアピールしたがる傾向あり。(なぜ?)

 

パリの日本人留学生

特に人文科学系(歴史,文学,思想など)や芸術系(アート,音楽)の学生を中心に,かなりの確率で心を病んでいる,又は人間としてどこかずれていることが多い気がする。なんというか,コミュニティとしてとても不思議な雰囲気。日本の大学の籍を置いて中短期(1年前後)で来ている人は前者,こちらの大学に籍を置いている人や音楽留学系は後者が多いイメージ。

ちなみに,これらはあくまで留学生の話で,駐在や,こちらで仕事を得て働いている人たち(含:研究者)には当てはまらない。(ただし,ポスドク研究者は両者の中間で,微妙におかしい人がたまにいたりする。)あと,同じ留学生でもビジネススクールや自然科学系だと,上記の比率がわりと小さくなる。

いずれにせよ,自分の知る限りの日本社会から見て,とても奇異に見えるのだが。。これはいったい何なのだろうか。