日々思うこと

パリ在住の研究者です。日々ふと考えたことを書き連ねて参ります。

誰のための支出か?

最近,自分の一定額以上の支出一覧をざっと眺めて気づいたが,「自分自身(だけ)で消費するための支出」よりも「他人に贈呈する,あるいは他人と共に消費(特に飲食)するための支出」の方が以前よりもかなり多くなっている。

所得が増えて余裕ができたというわけではないので,おそらくそこそこの年齢になって自身の物欲が減退してきたのか,あるいは物欲に比べてコミュニケーション欲(仮称)の方が相対的に大きくなってきているのか,どちらかであろう。

これで家庭を持ったりすると状況はさらに著しく変化するのだろうな・・などと独り思いにふける,春のとある一日。

パリの公衆トイレにあって日本の公衆トイレにないもの

【久々の更新ながら今回やや汚い話題(衛生的な意味で)です。ご注意を。】

街中の衛生という観点で(ほぼ唯一)フランスの方が日本よりも優れていると思う点として,手洗いの個室に必ずと言っていいほどブラシが備え付けてあることが挙げられる。汚したら手前で綺麗にしろというメッセージと捉えると何だかぞんざいな感じがするが,逆に日本のほとんどの手洗いみたいにブラシがないと,仮に汚れを残してしまった場合におそろしく恥ずかしい(次の人が外で待っていた場合は特に)。

ということで,小心者の自分としては日本でそういう事態になると,トイレットペーパーを多めにとってスティック状にしたりして,なんとか手を汚さずに綺麗にしようと試みるのだが,これまた便器の形状および水深次第なのでうまくいくとは限らない。そのたびごとに,「ああ,ブラシがあればなあ・・」などと嘆いていたので,そういったことを一切気にせずともよいパリの手洗いは(ある程度綺麗であればという条件付きで)わりと好きである。

大学の授業料

大学・大学院で「授業料」っていうけれど,授業(講義や,ときにゼミも)なんて,自分がこれまでに所属してきた大学・研究機関についていうと,休学してようが部外者だろうが基本黙ってもぐりこめるか,教員の許可さえ得れば出席可能だし。ということは,事実上は授業に対する料金ではなく,「単位取得料」あるいは「学位取得料」だよな。。

海外からの日本郵便問い合わせ

日本にいたころの郵便関連で問い合わせをしたい・・と思ったら,驚くべきことに日本郵便の問い合わせ電話番号,0120か0570はじまりの番号しかなく,要は国外からは一切電話ができないダメな仕様・・。一時的に国外に出ていて急を要する問い合わせをしたい人とかどうするんだ,これ・・。

日本のサービスはフランスに比べて断然優れていると思いきや,行政(あるいはそれに準ずるもの)は,微妙にかゆいところに全然手が届かなかったりするのが困る。。贅沢言ってるだけかもしれないが・・。

パリあるある(日本の視点で見た場合)

・基本,役所など諸々の手続,スーパーなどお店のレジ,道を歩く人々,すべてがトロい。後ろに並んでいるのに腹を立てると負け。

・高級店に行かない限り,店員やレストランの給仕係の愛想のなさが中国並み。

・いわゆる「フランス料理」を日常的に食べているわけでは決してなく,外食ではハンバーガーや,肉を焼いただけのものにビールやワインという組み合わせが多い。ただし,ハンバーガーでも焼き加減を聞かれるところはさすがフランス。

・というか,カフェやブラッスリーを除く料理店としては,アジア料理,アフリカ料理,中東系(クスクスなど)のような非西洋レストランの方が街中に多いような気がする。

・ワインではなくビールを飲んでいる場面を目にすることが意外に多い。

・住んでいても,オフィスがあったり特に用事がなければ,シャンゼリゼ通りなんで行かない。大半が観光客なのではないか?

・メトロの中などで読書している人をそこそこ見かける・・・割には書店がとても少ない。Amazonにも拒否反応を示す人が一定数いるというし,皆どこで本を買っているのか・・。

・とにかく日本と比べると街が汚い。そこら中にゴミが散らばっているというほどでもないが,イメージ的に。知人曰く「Clean--Dirtyという軸と,Beautiful--Uglyという軸は別物」とのことだが,まさにそう。パリはBeautifulだけどCleanではない。たぶんその逆もあって,日本の新興都市(具体名で悪いけどつくばとか)はCleanだけどBeautifulではない,気がする。

・・・ということで,日本人(特に女性?)が憧れを持っているいわゆる「花の都パリ」というイメージは,2~3週間も暮らすとほぼ粉々になる。ただし美術館やオペラ,オケなど芸術面,あとはたぶん学術面でも,極めて豊富で恵まれた都市であることには変わりはないが。

まあ,しょせんは日本で育った人間の視点なので,よその欧州諸国と比べるとどう映るのかはわからないけれど・・。オリエンタリズムならぬ,オキシデンタリズムか。

日本人向けの「ビジネス英語」フォーマット

ウェブで「XXX(何かの言い回し) 英語で」などと入れて検索すると,ビジネスの場などで使うさまざまな言い回しを英語で何と言う(書く)か,といったフレーズ集,フォーマット集のようなサイトがよく出てくるが・・。明らかな文法上のミスはないにしても,かなりの割合であまりこなれた英語ではない表現が載っている気がする。

キュレーションサイト問題ではないが,特に外国語というのはわからないと真偽の確かめようがないし,なんか嘘くさいなといった勘も働きにくい。しかも,おそらくそのままコピー&ペーストして固有名詞や一部表現を修正するだけという使い方をしている人が多いと思われるだけに,間違いや不確かな記述があると実は深刻な影響がある。本人が知らぬうちに恥をかいているという意味で。

そこそこ英語ができる人,願わくば日本語もわかるネイティブがちゃんとチェックして,確かな英語で書かれているものとそうでないものの仕分け・格付け的なものがなされればいいのだが,今のところあまり目にしない。自分自身もネイティブ並みとは到底言えない英語力なので,手に余る仕事なのだが・・誰かやってくれないだろうか。

異分野での活動と「バイアス」

学問でも芸術でもスポーツでも何でもいいが,ある人が何らかの分野で素晴らしい才能を発揮し,世の中で高い評価を得ているとする。その状態でほかの分野,しかも前の分野とあまり関連のない活動に進出する場合,以前の名声・知名度が手伝って(少なくとも最初は)メディアでもよく取りあげられるだろうが,必ずしも中身が伴っているとは限らない。

以下,具体名を挙げて特定の個人を皮肉るのが目的ではないが・・

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相撲からK-1:実際活躍できるかどうかはともかく,なんとなくわかる。やってみると全然勝手が違うのだろうが,比較的近い分野への進出といえるだろう。

野球選手からスポーツ解説者:これはまあ,自然な流れか。

・お笑い芸人から芸術家:ヒラメキという意味では通じるものがあるのかもしれない。ただ,「お笑いで有名なあの人の作品」ということで作品のクオリティとは関係なく評価が高まることもあるのかもしれない。

スポーツ選手からタレント・俳優:この流れが日本ではかなりあるように見えるが,両者の相性はよいのだろうか・・。要は知名度と一定程度の容姿・会話力又は演技力があれば,テレビ的には誰でも(といったら失礼か)よいということの裏返しか。

テレビ業界から政治家:コメディアンやニュースキャスター,俳優,果てはプロレスラーなどいろいろいるが,知名度を活用して政治家になっただけの場合,大抵ロクなことになっていない気がする。

・研究者から政治家:政治学者から政治家という流れなどたまに見るが,まあありうるのか。研究者としての実績・業績をそこまで活用できているのかは不明だが。国際政治が専門だったのにもっぱら男女共同参画に関与していたりとか。。(そういえば前の都知事ももとは研究者か。。)

・研究者から評論家・コメンテータ:「〇〇大学大学院教授」みたいな肩書きがあるとそれっぽく聞こえるということも手伝って,必ずしも専門と関係ない分野での評論・言論活動に精を出す人もいる・・。が,疑ってかかるべきだと思っている。

・芸術家から評論家・コメンテータ:個人的にはこれを一番警戒すべきだと思っている。音楽でも演劇でも,芸術家として優れていることは,言論人として優れていることを意味しない。が,そのアーティストとしての「孤高さ」がウケるのか,得てして下手な研究者よりも余程評価の高い言論人として,メディアで取りあげられたりする。音楽家としては超一流でも,役者としては1.5流,さらに言論人としては二流といった人とか(得てして環境保護とか反原発とかそっち系)。。

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もちろん当人が好きなことをする分は誰も止める権限はないし,メディアが勝手に取りあげるだけともいえる。ただ,政治活動と言論・評論活動を行う場合は,前の知名度・名声のために実力以上の評価がなされがちであり,しかもそのバイアスが人々にとって大きなマイナスの影響を与えうる。いかに有名人でも,いかに別の分野では優れた才能を発揮している人でも,畑違いの場でも活動内容は公平に,別分野における名声には惑わされずに捉えるべきだろう。