日々思うこと

パリ在住の研究者です。日々ふと考えたことを書き連ねて参ります。

異分野での活動と「バイアス」

学問でも芸術でもスポーツでも何でもいいが,ある人が何らかの分野で素晴らしい才能を発揮し,世の中で高い評価を得ているとする。その状態でほかの分野,しかも前の分野とあまり関連のない活動に進出する場合,以前の名声・知名度が手伝って(少なくとも最初は)メディアでもよく取りあげられるだろうが,必ずしも中身が伴っているとは限らない。

以下,具体名を挙げて特定の個人を皮肉るのが目的ではないが・・

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相撲からK-1:実際活躍できるかどうかはともかく,なんとなくわかる。やってみると全然勝手が違うのだろうが,比較的近い分野への進出といえるだろう。

野球選手からスポーツ解説者:これはまあ,自然な流れか。

・お笑い芸人から芸術家:ヒラメキという意味では通じるものがあるのかもしれない。ただ,「お笑いで有名なあの人の作品」ということで作品のクオリティとは関係なく評価が高まることもあるのかもしれない。

スポーツ選手からタレント・俳優:この流れが日本ではかなりあるように見えるが,両者の相性はよいのだろうか・・。要は知名度と一定程度の容姿・会話力又は演技力があれば,テレビ的には誰でも(といったら失礼か)よいということの裏返しか。

テレビ業界から政治家:コメディアンやニュースキャスター,俳優,果てはプロレスラーなどいろいろいるが,知名度を活用して政治家になっただけの場合,大抵ロクなことになっていない気がする。

・研究者から政治家:政治学者から政治家という流れなどたまに見るが,まあありうるのか。研究者としての実績・業績をそこまで活用できているのかは不明だが。国際政治が専門だったのにもっぱら男女共同参画に関与していたりとか。。(そういえば前の都知事ももとは研究者か。。)

・研究者から評論家・コメンテータ:「〇〇大学大学院教授」みたいな肩書きがあるとそれっぽく聞こえるということも手伝って,必ずしも専門と関係ない分野での評論・言論活動に精を出す人もいる・・。が,疑ってかかるべきだと思っている。

・芸術家から評論家・コメンテータ:個人的にはこれを一番警戒すべきだと思っている。音楽でも演劇でも,芸術家として優れていることは,言論人として優れていることを意味しない。が,そのアーティストとしての「孤高さ」がウケるのか,得てして下手な研究者よりも余程評価の高い言論人として,メディアで取りあげられたりする。音楽家としては超一流でも,役者としては1.5流,さらに言論人としては二流といった人とか(得てして環境保護とか反原発とかそっち系)。。

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もちろん当人が好きなことをする分は誰も止める権限はないし,メディアが勝手に取りあげるだけともいえる。ただ,政治活動と言論・評論活動を行う場合は,前の知名度・名声のために実力以上の評価がなされがちであり,しかもそのバイアスが人々にとって大きなマイナスの影響を与えうる。いかに有名人でも,いかに別の分野では優れた才能を発揮している人でも,畑違いの場でも活動内容は公平に,別分野における名声には惑わされずに捉えるべきだろう。