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日々思うこと

パリ在住の研究者です。日々ふと考えたことを書き連ねて参ります。

人文系研究者(および学生)のPowerPointプレゼン

理系研究者,あるいはビジネス関係者(といっても業界によって多様といえば多様だが)のそれと異なり,明らかに特異な形態に進化(むしろ退化?)してしまっている気がする。。

1)史料のスナップショットや写真など,図をを見せるのみ。あとの内容は全部口で話す

2)とにかく長い文章をそのまま書く。発表者自身の文章もあれば,どこかの引用の場合もある。だいたいにおいて文字が小さすぎて,会場に後ろに座っている人はまず読めないレベル

この人たちは「なぜPowerPointを使うのか」ということを考えたことがないのだろうか。1)であればまだわかるが,それでも,そもそもスライドショーその他のアプリケーションを使えばよいのではないかと思う。さらに,2)となると本当にわけがわからない。このようなスタイルでプレゼンを行って,聴衆は本当に細かい文字の羅列を読めて,内容を理解できているのだろうか・・。言葉が悪いが,少なくともプレゼンの方法については,かなり独善的かつ非効率的のように思えてならない。

自分が学部学生だったときには,「レジュメ」という形でワードで発表資料を準備し,それを印刷してハンドアウトとして配るスタイルが普通だった。資料として配布するのであれば,そこそこ長い文章が入れたとしても文字の大きさは問題にならないし,そもそも後で読むこともできる(プレゼンとしてわかりやすいか否かは別だが)。下手にPowerPointを使わず,このように資料として印刷したものを配るか,いっそ何も使わない方がまだよいのに,と思うことがしばしばである。

少なくとも自分が住んだことのある日本とフランスについては,これらの傾向に当てはまらない人文系研究者(歴史・思想・哲学・文学・社会学)は皆無であった。ひょっとしたら心理学の一部など数量データを扱うところは違うのかもしれないが・・。

いったいなぜこのようになってしまっているのか,誰も何も疑問に感じていないのか。疑問が尽きない今日この頃である。

余談:「PowerPointの使い方がおかしい」ということでいうと,霞が関の役所の資料もだいたいにおいて該当する。彼らはものすごく細かい文字で資料を作成し,それをどこかプレゼンの場で映すでもなく,PDF資料としてWebに載せるか,あるいは印刷したもの「だけ」を配るということをする。「それなら最初からワードを使え」というツッコミが溢れ出てくる経験があった。(あ,霞が関はワードではなく一太郎?ということはパワポではなくJust SLideとかか?)